人は、実は自分で選択してることはとても少なく、向こうからやってきた運命の中で生きている場合が殆んどだ、というニュアンスの言葉を聞きました。
確かに、何の因果か、今の時代に生まれてきたのも私の運命でしょうし、今に至る様々な進路は私の意思で決めてきたようだけど、その時の環境や状況、受け入れる側、そこで知り合った人々によって、如何様にも変化した可能性があるな、と思いました。ここにいるべくしているのかな。又々ハリーねたで申し訳ないのですが、ハリーとも、小金井に住んでいなければ会えなかったし。
人との出会いも又然りで、日本に生まれて、そこで知り合った人も、何かしらのご縁があって、巡り会ったんだなあ、と思いまして。今更ながら一期一会とはいい言葉だし、重い言葉だと思いました。ハリーが亡くなってしまったことは、悲しく苦しいことで、まだ感謝する気持ちまで昇華できません。が、全犬、全人口を考えると、天文学的確率で我が家にやってきて、楽しい日々を送らせてくれたことは、奇跡に近くて、やはり感謝せずにはいられません。出会うべくして出会ったのかな。
そんな思いでこの世を見渡してみると、いろいろなことに寛容になれる気がします。
まぁ、私は聖人君子ではないので、このような気持ちは一過性で、又すぐ日常に飲み込まれてキリキリしてゆくのでしょう。
ですが、ハリーの死は、私の中の意識のスイッチを変えました。そういう激しい衝撃がないと感知出来ない鈍い自分が残念ですが。