翌朝は6時からお勤めがあるということで、5:20起床。
本堂は、蝋燭が灯され、厳かな雰囲気。宿泊客15名ほど参加。
お坊さんの読経は独特のリズムがあり、音調も脳波にいい感じ!真言の作法も興味深く拝見しました。
しかし…正座はキツイ…
30分持たずに崩してしまいました、だらしないですね~
が、約1時間のお勤めはシャキッとして気持ちが良いです。
朝食も勿論精進料理。食欲旺盛なり。
8:30に宿坊を出発し、総本山金剛峯寺へ。
朝方の雨もあがり、あらわれた緑の中の石庭。
秀次自刃の間や、古色蒼然とした襖絵、曼荼羅。かつて生きていた人の息づかいをすぐ間近で感じるみたいで、すこぉし緊張する。
余談、町のいたるところに「高野まき」という看板を見かけ、最初、高野町の女性有名人高野まきさんか⁈と思ったが、霊木とされている高野槇と判明(^^;;
悠仁親王のお印になっているそうです。
その後、いよいよ大師がおわします奥の院へ。
こちらも圧巻でした…
行けども行けども苔生した墓石群…
山全部が墓場、正に霊場。
石田三成公、明智光秀公、伊達家、島津家と言った諸大名のお墓から、企業のお墓、小さいお地蔵さま、もう名前も読めないくらいの墓石まで、深山の中で時を忘れたかのように密やかに佇んでました。
姿が映らなければ後三年は生きられない、という、怖ぁい言い伝えのある姿見井戸で、自分の姿が映ったのを確認して
院へは、御廟橋、という橋を渡ります。ここから先は大師のお住まいなので撮影禁止、脱帽して、礼をしてから橋を渡ります。
やっぱり又空気が違う…
弘法大師は、62歳の時に、未来永劫にわたって衆生を救済するとご請願され、即身成仏になるべく御廟に入られたそうだ。命懸け…
宇宙の全てのものが「いのち」の顕れとして平等であり、この「いのち」を共有して尽きることなく交流し、自由自在に融け合い通じ合っていく、という世界観のようです。
引き篭もりでないところが、実にいいな、と思いました。
つながっている、という言葉を、説法の場で何度も聞きました。
いい言葉だと思いました。
戻る道すがら、どうしても見つけたかった、平敦盛と熊谷直実のお墓を発見出来て感激
昼食後、町の中心部に戻り、大師教会で般若心経の写経にチャレンジ。
ここでも正座が、、、。
すみません、胡座かきながらの写経、歩き疲れたせいか、途中ニ回ほど寝落ちするという体たらく(^◇^;)
が、なんとか1時間ほどで書き上げ、奥の院に奉納をお願いしてきました。
お腹を減らして宿坊へ。
お風呂で一泳ぎ⁈して、夕食。
茄子の田楽、葛切り、酢の物、すべて美味しい!身体に優しい!ノンアルコールが苦にならない!これを機に生活全般見直そうかな…
夕食後は、ライトアップされた根本大塔を見に行きました。陰翳が逆に迫力を増す効果ありで、ブルっときました。
一日高野山にひたり、やはり9時ころ寝落ち。