あじさいの、ブルーから紫への微妙なグラデーションが、曇天にも鮮やかに少し悲しげに映えます。
うつろう色合いが、はかなくて、でも本当に美しいなと思います。
まだもう少し先なのですが、母の一周忌法要を昨日済ませてきました。
親戚一同集まってくれ、アメリカ在住の叔父ともスカイプでつながり、賑やか好きの母も喜んだのではないでしょうか。
私がお寺で受付を済ませている間、じいちゃんと息子は先にお墓に詣で、軍手して汗をかきかき、掃除をしていてくれました。
私が後から行くと、いつもの位置となんか微妙にズレてる感じ・・・
墓標を見ると・・・・
「ちょっと~~!!!これ、よそのおうちのお墓じゃんよ!!???」
なんと二人は、一生懸命ほかのおうちのお墓を磨いていたのでした・・・
「じゃあうちの墓どこだ?!」
とか呑気なこと言ってるじいちゃん・・・
「だってお墓の字、まだ習ってない漢字だよ」
と息子・・・
不謹慎ですが、あまりのすっとこどっこいぶりに、お墓の真ん中で腹抱えて大笑いしてしまいました。
母もあきれながらも笑っていたことでしょう。
はい、ちゃんとお墓は見つかりまして、無事お掃除もできましてございます。
お坊さんの読経は、脳波にいいですね、おそらく。
私は、もっと、ずっと聞いていたいなあ、と思いました。
主人も相当に気持ち良かったらしく、私の柔らかい肘鉄や足踏み攻撃をかわし、静かに船を漕いでいました・・・
珍事もありましたが、無事に済んで何よりでした。
お疲れ様でした、ありがとうございました。
この一年、日常に追いまくられて、立ち止まって考える、という時間をなかなかとることができませんでした。
やはり、故人を偲びながら、家族のこと、生きること、死ぬことなどを、立ち止まって考える時間は必要だと感じました。
緑陰から清流を、あきることなく眺めながら、なあんにもしないでボウ~っと呆けてるような・・実際には行かなくても、それに近いような感覚を持つ時間を作ろうと思いました。
そしてまた、日常のなかのひとつひとつに、もっと気持ちを入れよう、と思いました。
きっと、そのひとつひとつの所作から、外側へむけてのパワーが湧いてくるような、そんな気がしたもので。
生きてるうちが花ならば、枯れるまで咲かせましょ、私は何かな、ドクダミとか・・・