日曜!朝活!フラメンコ!

世の中は危うさに満ちていて、明日はどうなってるかなんてわかりゃしません。

なので、平穏な日常が送れるこの一瞬に深く感謝しながら、私は私のやるべきことを、粛々と行います。

4月より、第1,第3日曜(4/3,17)の朝10〜11時でオープンクラスを行います。

4/3(日)は、「アレグリアスのマルカへ」です。

アレグリアスのリズムを体現化するとはどういうことなのか、に焦点を当て、リズムの解釈、それに必要な身体の使い方、補助トレーニングなどを総合的に学びます。今回はカマロンの「バリオ・デ・サンタマリア」を使います。

会員以外の方1回¥3000。単発可です。

定員5名。前日までにお申込ください。

たくさんの参加をお待ちしております!

個人と国家と

個人と個人では、家族もいるし友人もいるし、愛すべき隣人たち。

が、国間になると、国益の名の下に個人の意志や自由は抹殺される。一応現代なので、民主で選ばれた国家元首がその国の最終方向を決定する国が多いと思われるが、果たしてその国家元首は、本当に民意が反映された人物なのだろうか。国民はそこまで政治に責任と熱意をもって、その一票を決しているのだろうか。

3.11、その後も続いた各地の地震、水害、コロナ、そしてウクライナ。。。

自然災害は、不可避の側面もあるが、戦争は人災だ。

日本も過去、ABCD包囲網によって石油の供給をとめられ、戦争を仕掛けるよう仕向けられた。当時の首脳部たちは、欧米列強に追い込まれた形で、戦争を選択せざるを得なかったのかもしれない。が、戦闘員は、国民だ。非戦闘員も大勢殺された。勝てば官軍、負ければ賊軍で、日本が大陸を植民地化しようとしたことは厳しく罰せられ、空襲を繰り返し原爆を投下したアメリカが罰せらることはなかった。

勝てば正義。。。

以降、アメリカによって去勢された日本は、無意識レベルでアメリカの植民地と化したと私は思っている。

プーチンは戦争を引き起こしてしまい、非戦闘員を殺してしまっている時点で完全アウトだと思う。が、NATOは、ロシアから見れば正義ではないのかもしれない。なぜならば、大量の殺傷力の高い兵器を、ウクライナに流しているからだ。代理戦争を仕掛けられているようなものではないか。それに乗ったウクライナも、ロシアから足抜けすると決めた時に、もう少し根回しできなかったのか。仁義をつくして、言葉を尽くして足抜けできなかったのか。アメリカからの武器に頼らずに。

そうして、犠牲になるのは、国民だ。個人個人では、愉快で人が良くて愛すべき隣人たち。なのに国に飲み込まれてしまうと、穏やかな日常がめちゃくちゃに壊される。。。その殺し合いで得られる国益って何?メンツ?なにか、とてつもなく悔しい。一個人では、何もできないのか、、、、

日本で、戦争が起きたら。民意が反映されているとは言い難い日本の政治の在り方、現行で選ばれたお飾りのような総理大臣たちに日本の命運を託すのはぶっちゃけ嫌だ。すごく嫌だ。

そしてまた、死守するほど日本、という国を愛しているかと問われれば、それは希薄。ただ、家族や友人たちの住むこの国を守る、という意識では、がんばれそうな気がする。

そう、まずは周囲の幸せの持続を願う、それが国の幸せの持続になり、世界への平和に繋がっていくのだろう、と思う。

そのためには、やはり傍観者ではダメなんだろうと思う。国の代表を選ぶことに、もっと責任を持たなければならない、と強く思う。そうして、当たり前の制度や、もっている権利、それらがどうして生まれてどう生かされているのか、もっと知らないとダメだ、と思う。戦争を止めるには、知らないとだめなんだ、、、

前澤友作さんのTwitterであがっていた言葉に共感したので、ここに募金しました。

せっかく寄付しても武器を買うお金に変えられては戦争が終わらない、人道支援をしているところへ、と。

武力ではなく、コミュニケーションで、会話で、なんとか終結してくれることを祈ってます。

そして、自分は、、、

この一瞬は、エアーポケットのような一瞬の平和は、奇跡的なものであることを噛み締めながら、感謝を忘れず生きなければならない、と。

力尽きそうになることもあるけれど、抜けるときは抜きながら、目の前のことを、まずはしっかりやってゆこうと思いますよ。

フラメンコの核

咽び泣くようにかき鳴らされるギター、腹の底いや地の底から絞り出されるような嗄れた叫び、それはまるで何かのまじないのように聞こえる。そしてそれらの音に呼応して肉を打ち震わせながら、時に獲物を狙って待つ猛禽類のように、時に髪振り乱し胸掻きむしり狂気のように踊られ、見るものはゾクッとしながら引き込まれる。そして、一旦そこに魅了されると、熱病のように思い続ける、またあれが見たい!と。

フラメンコを踊る時は、その衝動がなければ嘘になる、と思っている。一生できると思えないけど。その衝動は、フラメンコにある。フラメンコの音が教えてくれる、ここだよ、と。けれど、私は余計なことをやろうとしてしまう。カッコいい振りもしたいし、複雑なパソをカッコよく決めたりしたい。そしてそこに囚われると、行き詰まるし気持ちが萎えてゆく。フラメンコを聴く、感じる、フラメンコの音圧に負けないようにしゃんと立つ、歩く、その一歩は今出していいんかい?と自問しながら、探す。カツリとハマる時が稀にある。そこまで、探す、探す。そんな旅を続けていると、なんか途方にくれる。けれど、いつもそこを照らしてくれるのは、大沼由紀先生だ。

先日見に行った新生エスペランサでのライブ、途方もなく素晴らしかった。

全てが衝動であり、先生の存在全てだった。エスペランサの空間が、それを包み込む温かい光に満ちていた。フラメンコから愛されるってこういうことか!と嘆息した。

歌うように踊る、弾くように踊る、そして歌う。フラメンコに全てを捧げてきた大沼先生がその核へと迫る瞬間であったと思う。ヤバい!

4/24にエスペランサでの再演が決まったようです。たくさんの方に、本物を見て、感じていただきたい、と思う舞台です‼️