大晦日

先日の忘年会は、新旧入り乱れ⁈楽しい会となりました
お疲れ様でした!
さて、今年もあと数時間で終わろうとしていますが、、、
たまには、フラメンコの話、、、
ここ三年程一番自分自身に言い聞かせていたのは、クセで踊るな、ということでした。
リズムを取る時のクセ、立つ時のクセ、歩く時のクセ、、、
長年の習慣の中で培われてしまった、自分の身体的なクセ、そして、不勉強のために間違って思い込んでいるリズムの取り方、これらはしぶとくて、なかなか離れてくれません。
写真やビデオを見ると、注意しているつもりが一目瞭然、がっかりしてしまいます。
集中力と体力の問題もあります。
気付いてなおしてゆくには、根気もいりますが、、、
これが!
案外に私にとっては楽しい作業です。
今まで自分がやってきたことを疑ってかかる、というところが出発点になるので、なんせ発見が多いのです!
そして、YouTubeって神です、ほんと。迷った時の答えが必ずそこに用意されているので、出来る出来ないは別として、確信して次にゆける気にさせてくれます。
ありがたや、YouTube!!
なんせ、性格も身体もクセだらけですが、マトモに踊れる日を夢見ながら日々努力⁈を重ねていこうかなと。
という訳で、お正月は、やっぱりYouTubeかなぁ。
地味ですみません…
元旦は歩こうと思ってます…
いろいろなことがあった2011年。
踊っていられる幸せを噛み締めながら。
さようなら。心を込めて見送ります。
そして、来る2012年、どんな年になるにせよ、がんばっぺ…
皆様、今年も沢山お世話になりました
来年も宜しくお願い致します。
良いお年をお迎え下さい!
年始は1/4~です。

稽古おさめ

人通りがいつもより少なくなったり、電車や道路が空いてたり、年の瀬を感じます。
昨日が稽古おさめでした!
いろいろなことがあった一年でしたが、こうして、みなが元気に踊っていられた、ということに感謝しつつ、新しい年を迎えたいと思います…
そして、来年は、年明け早々の発表会です。
当教室は、1年半に1回の割合で発表会を行っています。
発表会会場であるエルフラメンコを押さえたのは、震災前でした。
実家が被災した生徒がいました。
震災後は、一ヶ月、教室は機能しませんでした。
とてもとてもフラメンコどころではない状況の中、これほど自分の無力を感じたことはありませんでした。
出来ることは何でもやろうと思いましたが、なんだかんだ保身に走ってしまった感が否めません。
自分の果たす役割、ということについても、とても考えさせられました。
やっぱり、、、
いろんな矛盾があって、迷いもありますが、私の役割って、元気な限りは、皆さんに楽しく踊る場所を提供し続けることなんじゃないかな、、と思いました。
ツールがフラメンコってところが難しさありますが、フラメンコは懐が広いと甘えさせてもらって…(*^^*)
だから、発表会も、やると決めました。
そして、発表会に限らず、何かをする際には、ベストの限りを尽くしたい、と思いました。
それは、各々の中で同じ気持ちであると感じました。
いろんな形で、皆さんの気持ちを受取れたことが、本当に救いになった一年でした。ありがとうございました
明日は、納会。
19~21時
武蔵小金井北口ソルト館
http://r.tabelog.com/tokyo/A1325/A132501/13104716/dtlrvwlst/3045038/
飲み放題\3000です。
はじけましょう!
関係ありませんが、年の瀬を迎えた、ひなとクゥです。仲良くなってきました。

ばぁちゃん

大正八年の生まれ、実家は豪農で、下働きの人が10人はいたそうだ。
気はいいんだけど、どこか頑なにワガママなところがあって、やっぱりお嬢様育ちだからか、と母はよくボヤいてた。
そんな田舎のお嬢さんが、どしても東京に出たくて、東京の人とじゃなきゃ見合いしないと決めて、巡り合ったのがじぃちゃん。
明治生まれのじいちゃんは、庭球なんかやってしまうモボで、身長もその当時には高い方で、なかなかのイケメンだったそうだ。じいちゃんはじいちゃんで、ばあちゃんの実家の、東京に家を建ててやる、という釣り文句に惹かれて見合いした、と言ってたそうだ。
2人の利害関係は見事一致し、結婚に至る…
朝ドラさながら、戦中、戦後の苦しい時期を乗り越え、四人の子宝にも恵まれ、孫にも恵まれ、、、
こっから先は、ばあちゃんと私の物語。
子供の頃から、学校の休みの度に行くところと言えば、じいちゃんばあちゃんち。
ばあちゃんが焼いてくれる卵焼きが、ほんのり甘くて大好きだった。
悪さをしては、母を怒らせていたが、ばあちゃんは「そんなに怒らなくっていいじゃないか!」と庇ってくれるもんだから、私はすっかりばあちゃん子。
ばあちゃんちから帰る日は、悲しくてしくしく泣いていた。
父親が転勤族だったので、各地を転々としていたが、中学一年の時に東京転勤になったのを機に、ばあちゃんちで暮らすことになる。
中1と言えば、反抗期、おまけに転校でナーバスになっている私を、「人生は苦娑婆だ、何くそ、負けるかの心で乗り越えなきゃダメだ」と、吐き捨てるようによく言われた。
そっか、元が苦しいものなのか、と妙に納得して、救われたりしてた。
寒い冬の夜には毎日湯たんぽを布団の中に入れておいてくれたっけ。
上履きを忘れた時に、自転車で届けてくれたこともあった。
演歌が大好きで、いつも歌ってた。
人と賑やかに話すのが大好きで、屈託のない明るさで、歯切れが良くて、江戸生まれじゃないのに、江戸っ子みたいなばあちゃん。
実家出てからも、何くれとなく心配してくれて。
スタジオの周年祭にも来てくれたな…
「千鶴は、こうして見るとメキシコ人みたいだね~」と、トンチンカンなこと言って笑わせてくれたっけ。
まだまだ、たくさん、、、
ばあちゃん。
たくさんの愛をありがとう。
長い人生の旅路、お疲れ様でした。
ばあちゃんの堂々とした生き方に恥じないよう、私もがんばるから。
皆と空から見守ってて下さい…