禅の精神らしい。
この一呼吸、この一瞬をいかに生きるか。
永遠の謎に満ちていて、永遠のテーマである気がします。
7月も終わりです。
私は人知を越えた神秘を、この一ヶ月で沢山感じました。
この世の中は予感や神秘に満ちていて、私はたくさんの天使を見ました(決して狂ってません)
絶妙のタイミングで現れたり、メールをくれたり、贈り物がとどいたり。私はありがたくて泣きました。
霊的なものは時空を越えてつながるのだと思いました。
人間がもっと昔には当たり前のように持っていたであろう第六感の存在を強く感じました。
7月が過ぎてゆきます。
私はそれを心をこめて見送ります。
ありがとう。
運命
人は、実は自分で選択してることはとても少なく、向こうからやってきた運命の中で生きている場合が殆んどだ、というニュアンスの言葉を聞きました。
確かに、何の因果か、今の時代に生まれてきたのも私の運命でしょうし、今に至る様々な進路は私の意思で決めてきたようだけど、その時の環境や状況、受け入れる側、そこで知り合った人々によって、如何様にも変化した可能性があるな、と思いました。ここにいるべくしているのかな。又々ハリーねたで申し訳ないのですが、ハリーとも、小金井に住んでいなければ会えなかったし。
人との出会いも又然りで、日本に生まれて、そこで知り合った人も、何かしらのご縁があって、巡り会ったんだなあ、と思いまして。今更ながら一期一会とはいい言葉だし、重い言葉だと思いました。ハリーが亡くなってしまったことは、悲しく苦しいことで、まだ感謝する気持ちまで昇華できません。が、全犬、全人口を考えると、天文学的確率で我が家にやってきて、楽しい日々を送らせてくれたことは、奇跡に近くて、やはり感謝せずにはいられません。出会うべくして出会ったのかな。
そんな思いでこの世を見渡してみると、いろいろなことに寛容になれる気がします。
まぁ、私は聖人君子ではないので、このような気持ちは一過性で、又すぐ日常に飲み込まれてキリキリしてゆくのでしょう。
ですが、ハリーの死は、私の中の意識のスイッチを変えました。そういう激しい衝撃がないと感知出来ない鈍い自分が残念ですが。
ハリーへ 2
元気が無くなってから2週間で君は逝ってしまった。あんなに元気に野川を走っていたのに、信じられないよ。やっぱり環境の変化が悪かったのかな、独りぼっちでお留守番してる時間が長かったからかな、ちゃんとしつけをしなかったから、拾い食いし過ぎたからかな、お父ちゃんとお母ちゃんは、仕方ないことだとわかっていても、自分たちを責めずにはいられませんでした。後悔の涙は尽きることなく、苦しくてたまりませんでした。
お花に囲まれて眠るかのように安らぐハリー。たくさんの人が君の死を悼んでくれたね。ハリーは太く短く熱く生きたから幸せ者だと言われたよ。そうだといいんだけど。
お父ちゃんお母ちゃんは、自分たちの気持ちにケジメをつけるため、君を手厚く弔うことにしました。府中にある慈恵院を見に行きました。そこは緑に囲まれた静かで清々しいお寺で、沢山の動物たちが眠っていました。親バカ、大袈裟かもしれないけど、ここで、君の葬儀を行うことを決めました。
今日、お坊さんの読経の中、君の実体と最期のお別れをしました。涙が止まらなくなりました。
だけどね、お父ちゃんとお母ちゃんは奇跡を見たんだよ!君が火葬されている間、青い空に君が疾駆する姿そっくりの雲があらわれたんだよ!お父ちゃんお母ちゃんは涙を流しながらその姿を眺めました。ハリー、お別れの挨拶に来てくれたんだね。
実体を失って、苦しかった病もなくなって、自由に空を駆けられるんだね。喜んでいるように見えたよ。
ハリーは白いお骨になりました。
ざわざわしていた気持ちがすぅーっと落ち着きました。
本堂で読経をしてもらいました。
私たちも清々しい気持ちに満たされてゆきました。
君の不在は、ことあるごとに私を悲しくさせる。だけど実体はないけど、魂がいつもいつでも側にいることを感じました。私たちには葬儀は必要な儀式でした。
ハリーは沢山のことを教えてくれたね。何でもない平凡な日常の繰り返しの中にこそ、素敵で幸せなことがあるんだね。
お母ちゃんは生きてることに傲慢だったと思うよ。
君が身をもって教えてくれたことを、お母ちゃんは心に刻んで生きていきます。
ずぅーっと一緒だよ、ハリー!