父のこと まとめ

かくして、私に騙された父は、包括センターの方が請け負ってくれた、小規模多機能型居住、というところに通い始めた。暴れてますから引き取ってください、と、いつ連絡が来るだろう、とハラハラする日が続いたが、思いの外馴染んでいるらしい。施設の方のプロフェッショナルを感じた。

生活のリズムができ、昼夜の逆転もなくなった。お昼ご飯も温かいものをみなさんと食べられる。レクリエーションでは、とても盛り上がるそうで、いつしか父はリーダー役を買ってでるようになったらしい。やっと、やっと、ここまで漕ぎ着けることができた。それは、もしかしたら父の心奥の要求でもあったのかもしれない。

それが、3月半ば。通所から約5ヶ月、小さい事件はいろいろあるけれど、父が人間らしく、自分を取り戻し始め、介護度も良くなり、本当にセンターには感謝しかない。やはり、プロ、そして第三者の手は大事だ。

この先、いろいろ考える。認知症がもっともっと進行したら、、、薄情かもしれないけど、私は父を家で介護し続けるつもりはない。自分の生活があるからだ。そこを犠牲にしてまでは、尽くせない。一つの目安として、父が家族のことがわからなくなったら、というのを考えてる。けどわからない。自分の気持ちが追っ付かなくなった時、私は父をより良い場所へと送り出すだろう。

今は、安定。けど、ずっとじゃない。父も変わる、私も変わる、家族の状況も変わる。一時訪れた平穏な日々、これが少しでも長く続くことを願っている。

クラスは、時間の変更など、受講してくださってるみなさんには多大なご迷惑をお掛けしました。突っ走ってなんとかやってこられたのも、みなさんのご理解あってこそ、感謝しかありません。低め不安定ではありますが、私は仕事も家族も切り離しはしません。やれるとこまで、行けるとこまで行ってみるさ!

父のこと その4

生活の手段であった車を取り上げてしまった形なので、父もストレスが溜まったことだろう。もう俺は死んだ方がいいのか?と問うてきたことがあった。とても悲しくなった。できる限り元の生活に近い形にしてやりたいと思い、趣味のゴルフ練習場の付き添いなど、やり始めた。

毎朝5時起き。散歩、洗濯、食事の支度(昼、夜分の仕込み含む)済ませて、ゴルフ練習場へ。練習場の受付には、父が軽度の認知症であることを告げ、何かあったら私に連絡してくださいと頼み込む。その後、急いで取って返してスタジオへ。午前中のレッスンを行い、練習場へ父を迎えにいく。昼食の支度、犬の散歩、夕飯の支度を整えて夕方からレッスンがある日は外出し、という生活。

3ヶ月ほどで私の方が参ってきた。が、ちょうどその頃、飲酒を続けていた父の体調も悪くなり、寝付いてしまった。10日ほど酒を絶ったことでまた元気を取り戻した父だが、認知の方はかなり進行してしまっていた。

が、そこにはありがたい置き土産が。ノンアルコールビールを、ビールと思い込むようになったのだ!今までどんなに試みようが、その手には乗らなかった父が!それだけ認知症が進行したということなのだろうが、ここは渡りに船だ!

父は、美味しいビールだ!と喜んでノンアルを飲んでくれる。神様、ありがとう、と心底感謝した。

ノンアルのお陰で、体力的にはメキメキ元気になったところで、再度父に問うてみた。「お爺さんお婆さんの話し相手や、お茶汲みなんかやるバイトあるけど行く?時給300円だけど」「行ってみるか!」ようは騙しだが、前向きに生きようとする父の姿が嬉しかった。

父のこと その3

施設に着くと、エントランスまで聞こえるくらいの大声で「なんで俺をこんなところに連れてきた!こんなとこ居られるか!」激昂している。職員さんも困り果てていた。

なんとかなだめて連れ帰る。バッグの中からはあろうことか缶ビールが出てきた💦知らぬ間に持ち込んでいたらしい…施設長、ケアマネジャーから連絡入り、まあ出禁となりました。

その後、話し合う中で、アルコール依存がからむ認知症は、他の方とのトラブルが発生しやすく一般のディサービスで預かるのは難しい、一度精神科で診てもらった方がいいとアドバイスのような、最後通告のようなことを言われた。まあ仕方ないよね。

認知判断をしてもらった病院に父を連れて行き、相談する。精神科って一言で言うけど、どういう扱い受けるか知ってる?本人が嫌がると拘束されるんだよ。老い先短いのだから、飲ませてやるのも手だよ、アルコールからくる認知症だから悪化するけどね、と言われた。正直なところを言ってくれてありがたかった。縛り付けられてる父は見たくない。よっしゃ、うちで好きな酒飲ませて見守るしかないか、と腹を括った。

車の運転はさせられないため、鍵を隠し、本人には認知症が進行してると告げ、免許返納を促した。俺はボケてなんかいない、とがんばっていたが、警察から通告が来てる、と適当なこと言ってなんとか返納させた。

父はお酒とつまみ少々あれば大体はご機嫌だった。が、家族が仕事や学校で不在の間、ストックの酒が切れると、ふらふら徘徊するようになった。道がわからなくなってしまったり、6時間も戻ってこない時もあって、警察に捜索願いを出したこともあった。家を空ける時は、いつも気がきではなく、そして、大なり小なり毎日なんかしらの事件が起きた。

家族のバタバタをクールに見ているクウちゃん