父のこと その2

高速道路で降りるインターがわからなくなり、道に迷ってしまった一件から程なく、いつものごとく飲み過ぎによる体調不良期に陥った。

まず食欲がなくなり何も食べてくれない。身体が怠いらしく、ほぼ寝たきりとなる。水分だけは摂らせようとすると、そこは頭が回るらしく、ビール以外は飲まない、とがんばる。しかし口もきけないほど衰弱してくると経口補水液を摂取してくれる。がそんな状況が数日続き、意識も朦朧としてきている。このタイミングしかない、と迷わず救急車を呼んだ。

全ての検査異常なし。脱水症状とのことで点滴を打ってもらったところ、驚くほど元気になり、よたよたながら歩けるようになった。1週間近く酒が抜けていたせいもあるだろう。が、あれだけ何年も飲み続けて、内臓がなんともないとは、、、!丈夫なんだねぇ。。

が過度な飲酒は、身体のどこかを必ず壊す。父の場合は、それが脳に来てしまったのだ。

病院から戻った父は一見すると元気なのだが、言動がおかしくなっていた。まず、昼夜の逆転。夜中の2時ころに私の枕元にたち、「ご飯食べてないぞ」と起こしにくる。ある時は早朝4時に父の携帯から女性の声で「あなたのお父さんが犬を連れてはだしで畑で倒れて起き上がれないでいる!」と電話がかかってきたこともあった。また、あれが無い、これが無い、お前がどこかへやってしまったんだ、と毎日言い掛かりをつけてくる。こちらがやられそうになってきた。

脳神経外科に連れて行き、認知機能検査をしてもらう。脳の萎縮が見られ、初期の認知症であると。すぐ市役所に連絡し、介護申請手続きと同時に、24h父に張り付いている訳にいかないので、ディサービスを検討。市役所も包括センターの方もすぐに動いてくれて、通所も決まった。問題は父だ。果たしてディサービスに行ってくれるのか、、、。

「ディサービス」と言うと、最終地のような感じがあるらしく絶対に行かない、と言うと思い、「仕事に行くような感覚で、お昼も出てお風呂も入れるサービスが受けられる所があるんだけど行ってみない?」と声掛けしてみたところ、行ってみるか、と。

初日、ドキドキしながら送りだし、レッスンへ。だが、案の定、施設から電話。「お父さんが暴れてます、引き取りにきてくれませんか。」やはりやらかしたか、、、。

父のこと その1

昨夏いつも通り車を運転してゴルフに行っていた父の携帯から、知らない女性の声で電話がかかってきた。「あなたのお父さんが、降りるインターがわからなくなってしまって道に迷ってます、教えてあげてください!」驚いたがまずは父に代わってもらい、道を説明した。すごく長い時間をかけ、ゲッソリした面持ちで父は戻ってきた。認知症を疑い始めたきっかけだ。

思えば、母の闘病中より酒量が増し、亡くなってからは毎日酒浸り。寂しさからくるものだと理解はしていたが、あまりの酒量に時には体調を崩して寝込むほどだったため、何度も酒を隠したり取り上げたりした。が、「飲むことしか楽しみがないのに取り上げるな!」と激昂し、自分で買いに出てしまう。完全にアルコール依存だった。本人に止める意思がないので、周りがいくら諭しても聞く耳もたない。また、大の医者嫌いで、肝臓壊れてるよ、と脅そうが長生きしてもらいたいから病院行こうよ、と懇願しようが頑として行かない。アルコール依存を扱う病院の電話窓口で相談したところ、「ご本人がお酒止める意思がなければ、また、体をメンテナンスするという意思がなければ、病院抜け出しますし、お酒を買いに出てしまいます。ご本人がお酒を死ぬまで飲みたいということを選ぶならば、それも生き方ですから、飲ませてあげるのも一つの方法です。異変があったらすぐ救急車、と心しておいて、あとは見守るのが良いかもしれません」とアドバイスされた。

なるほど、と妙に腑に落ちた。そうだよな、何よりも酒が飲みたいならば酒と心中するまでだよな、、、それも生き様だ。いざとなったら救急車で運んでしまえば、病院嫌いも諦めつくだろう。

若かりし頃の父。ちょっとしたイタリア人⁉️のような彫りの深さで、随分おモテになったそうで。

夏の夕暮れ

本日も暑い中レッスンお疲れ様でした💦

帰宅し、犬の散歩やら夕飯の支度やらを片付け、投票に行ってきました。

夏の夕暮れは鈍色の空にポッカリお月さんが浮かんで、風も涼やか、ひぐらしの声が情緒を誘います。って、どんだけ田舎だろ、うち方面、一応都内なんだけどね。

毎朝毎夕の散歩道

途中の公園では、小さな子供とお母さんたちが遊んでいて、なぜだかふっと涙ぐみました。この国は戦争をしていた時期もあるし、災害に見舞われた時期もあるし、疫病や飢饉に見舞われた時もあるけれど、ここまで存続してきて、今こうして私も生かされている。命を賭して先人たちが築いてきたものの上に、私はどっかりと胡座をかいている。この平穏の日常は、稀にみる奇跡的なものであるにもかかわらず。

私の役割。。。そんなことを考えながら、一票を投じてきました。

さぁ、日本国民はどう動き、どんな感情を票に込めたのだろう⁉️