必衰

先月、友人のお父様が亡くなった。

長らくうちの教室の発表会のビデオ撮影、編集、焼き増しまでやってくれていた、とても素敵なパパさんだ。

友人宅で飲む時は、パパさんとお話することも楽しみの一つだった。

品が良くて、話題も豊富で多岐にわたり、その穏やかな人柄を思うと胸が詰まる。

亡くなる10日ほど前、病室に訪ねていった時も、しっかりしてらして、病床にあっても相も変わらず品が良く、がんばってくれるかな、と思っていた矢先の訃報だった。

柔らかい雨の野辺送り。

どうして人は死ぬのかな。

うちの母もそちらに行ってます、会ったら、よろしくお伝えください。

パパさん作のビデオ、DVDは私の宝物です。

またあの世で一献傾けましょうね。

ありがとう、パパさん、ありがとう。

 

そして、先週末は、とうとうレオが逝ってしまった。

17年間ずっと側にいてくれた。

優しい丸い緑の目でじいっと見つめるレオ。

一緒に寝っ転がったり、足にすりすり甘えてきたり、細く可愛い鳴き声でエサを催促したり・・・

子供や母のことで、なかなか構ってあげられなかったから、、、ごめんねレオ。

慈恵院で、荼毘にふしました。

ハリーの横にお骨を置いてもらいました。

なんで逝っちゃうんだろうね、レオ。

レオは幸せだった?

お母ちゃんは、あなたに一杯愛と優しさをもらい続けていたのに、それを返しきる前に逝かれちゃった気分なんだよ。

無垢の愛は、動物族がもっている美しさ。

ありがとう、レオ、本当にありがとう。

ハリーが待ってたね。

虹のたもとで待ってってね。

それまで母ちゃんがんばるから。

 

万物は流転するし、生まれてくれば必ず死ぬ。

わかっちゃいるけど、悲しいもんは悲しい。

心に刻み込んで生きる。それだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母は。

母は、いわゆる勘の鋭い人だった。

私が何か問題にぶちあたって悩んでいたりすると、決まってタイミングよく電話をかけてきたり、ふいに会いに現れたり。

離れていても、愛されてるんだな、守られてるんだな、と思うことがよくあった。

「もう、私の介護で大変な思いしなくてもいいんだよ、私も闘い抜いたから休みたいよ。お父さんをよろしくね」

都合の良い解釈だけど、私にそんなメッセージを残して亡くなっていったような気がしてならない。

自分のことはいつも後回し、夫のため、子供のため、ばあちゃんのため、、、いつも人のために動き回っていた母だったから。

それを考えると余計にかなしいけどね。

 

そんな、人のために尽くしてきた母が病気になってしまったのは、母の命懸けの叫びだった気がする。

私もう尽くすの疲れたよ、尽くされたいよ、みんな私のこと構ってよ、って。

同居し始めたころは、お前に世話かけたくない、子供の世話になるの嫌だ、なんて言ってたけど、私にオムツ替えしてもらってる時の母は、なんだか幸せそうだった。

私がご飯食べさせてたら、「楽でいいなあ~」なんて言ってた。

食事後、リップクリームを塗ってあげると、すっきりと満足そうな顔をしていた。

私が何か作業をしていると、私のことをずーっと目で追っていた。

とっても澄んだ、きれいな目で。

その目は、赤子みたいと思ったこともあるし、ハリーの最期の日の目みたいだ、とも思っていた。

 

退院したばかりの頃は、痴呆のような症状がでていたけれど、家に戻ってしばらくしてからは、それもおさまっていた。

私が「お母さん、今日もきれいだね~」と言うと、

「うそよ、うそ!」と照れたり。

すっかり可愛いおばあちゃんだった。

だから、母の介護は子育てより全然楽だ、といつも思っていた。

子供は・・・いうこと聞かないし、暴れるし、すねるし、もう大変・・・

だけど・・・

私がこうして減らず口をたたけるのも、母が辛抱して子育てしてくれたおかげ。

いずれのことも、すべて輪になって繋がってゆく。

 

私が母につきっきりになっていると、当然子供がすねて感情的になる。

「僕とああちゃん(ばあちゃんのこと)と、どっちが好き?」

とよく聞かれた。

子供にも苦労かけたけど、「僕がああちゃんに食べさすよ!」

と言って、台の上に乗り、アイスやプリンを母に食べさせていた姿は泣けたよ。

幼いお前にそんな気を遣わせて済まん。。。

母は私を見て苦笑しながら、「ありがとね」と言ってたっけ。

 

父はどうしてもスパルタで、男ならではの強引さで、それでも一生懸命介護していた。

ご飯をたべさせてもらったあと、母は「拷問だよ・・・」

とこぼしていたり、「優しさがないんだよ・・・」

と愚痴っていたりしてた。

けど、やはり父のこともずーっと目で追っていた。

お父さんにたっぷり構ってもらって、愛情かけてもらいたかったんだよね!!

 

だから・・・

私の突っ走った思いのみで始まった親との同居、介護生活。

大変なこともたくさんあったけれど、いつもの雑多な、騒々しい住空間で、母を見送れたことは良かったことなのかな、と思えてくる。

きっとそうだよね?!

 

そして。

病人と頑固な父との同居を快諾してくれ、私のイライラをすべて受け止めてくれていた夫に、ありがとう。

 

そして。

みなさまの暖かい励ましがなければ、ここまで来られませんでした。

心より御礼申し上げます。

ありがとうございました。

不肖西川を、今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入寂後

身をえぐられるような激しい後悔。

タンの吸引なんかしたからお母さんは逝ってしまった、

私がなんとかできると、傲慢に思っていたから逝ってしまった、

介護に疲れて、いつまでこの状況が続くんだと、毒づいたから逝ってしまった、、、

私のせいで逝ってしまった・・・逝ってしまった

苦い涙しか出てこない。

 

それからどう過ごしてたんだかあんまりよく覚えていない。

葬儀屋さんを決めたりだ、なんだとやらなきゃいけないことを淡々とこなしてはいたけど、心が浮遊しているようだ。

友達にもすぐにメールできなかった。

重い腰上げて、ようやく連絡入れ始めたら、察したんだろか、重ちゃんからメールがきたので、

臨終の時の様子を初めて伝えた。

「おめえの呪いぐらいで親は死なねえよ、親をなめんな!」

ってメールがきた。

それでちょっと目が覚めた。

つらいはつらいけどね。