入寂

6/24の午後10時に、母が息を引き取りました。

日曜に荼毘に付しました。

生前お世話になった皆様に厚く御礼申し上げます。

また、たくさんの手向けのお言葉、お花など賜りまして、親族一同感謝しております。

ありがとうございました。

 

24日は、前日夜から呼吸が苦しそうだったので、少量のゼリー、アイスのかけらなどだけ摂取。

が、その後は余計に苦しくなってしまったので、口からのタンの吸引をしてみる。

吸引直後は改善するのだけど、タンはきりなく絡んでくる。

在宅医に約束の時間より早めに来てもらう。

看護士の吸引後、少しまた良くなる。

医者曰く「診立てでは、今呼吸落ち着いているので、様子を見ながら経口摂取をし、絡んだらタンの吸引という形で、あと1カ月くらいは大丈夫でしょう」「娘さん、鼻からの吸引も覚えてください」 

ほんとか??おい!?

私には、とても1カ月も持つように見えないけど。

別の訪看さんから、吸引はプロの看護士がやっても難しいものだから、口内の見えている部分のみの吸引しかしなくてよいですよ、お母さんも苦しいし、と言われていたので、今まで鼻からの吸引は手を出さなかった。

が、緊急の場合もあろうかと、その場で教えてもらった。

吸引覚えれば大丈夫なんですよ、みたいな軽いノリで在宅医は帰っていった。

そうなんか??

私は激しく疲れてしまった。

信頼している訪看さんは、葬儀の準備もしておいてくださいと言う。

在宅医はあと1カ月生きるという。

今亡くなっても、あと1カ月闘病が続いて亡くなっても、わたしゃズタボロだ・・・

お母さん、私疲れちゃったよ、、、どうすりゃいい??

2hほど2Fに引きこもった。

階下に降りてゆくと、母がまた苦しそうな呼吸をしている。

こんなに痩せちゃって、小さくなっちゃって。

自分のつまらない、せこい感情で、そばにいなかったことを悔いた。

体をマッサージしたり、蒸らしたタオルでさすったり、手をにぎったり、、、

こんなことしかできない。

 

子供が帰ってくる。

ごはんの支度、食べさせて風呂、寝かしつけ、、、

その間も気が気ではなかった。

ハリーが亡くなったのも水曜の夜だったから、嫌な予感がして仕方がない。

子供には可哀そうだったが、頼むから早く寝てくれ、という気持ちだった。

 

階下に降りてゆくと、母が下顎呼吸をしている。

父を起こし、在宅医に電話をする。「そうですか。といっても、なすすべがないから、見守っていてください。救急車はよばないでください」

どこまで保身しか考えない医者なんだ。

訪看さんにも電話をした。「娘さん、そろそろ覚悟してください。耳は最後まで聞こえています、そばにいて、声を掛けてあげてください。手を握ってあげてください。」

この訪看さんがいてくれて本当にありがたかった。

手足が冷たくなってきてしまった。

一生懸命さすっても、温かくならない。タンの音も聞こえる。

胸をさする。

お母さん、がんばれ!!

タンの吸引をすれば楽になるだろうか、と、今日ならったばかりの吸引をした。

お母さん、苦しいのとるよ。もっと生きてよ。

が、その後。

母の呼吸がゆっくりになってきてしまった。

父と私は必死で呼びかける。

お母さん、がんばって、お母さん!!!

ハリーの時みたい。

最後に一つ、ゆっくり息を吐いて、母は絶命した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう生きる?その2

その後、母の容体は落ち着いたものの、嚥下が以前に増して困難になってきました。

経口で摂取してゆくと、肺炎のリスクが高くなる。

点滴のみにしてゆくと身体のむくみがひどくなる、また、食べるという人間としての喜びを奪われてしまう。

どちらを選んでゆけばいいのか。在宅医と家族で話し合いの場がもたれました。

まだ、母に意識があるので、母の気持ちを最優先にしてゆくことにしました。

「口からものを食べていきたい?点滴だけにしたい?もちろん、途中で変更できるよ」

母は、口から、の方にかすかにうなずきました。

食べられるものを、無理せず摂れるだけ摂らせてゆくことになりました。

 

なるべくのど越しの良い、フルーツをつぶしたもの、プリン、ゼリー、アイスなど。

病人は、冷たいものの方を好みます。

また、母がむせ始めたら、食べさせることをすぐに止めるようにしました。

それでも・・・

 

一週間経たない間に、またムセからの呼吸困難・・・

 

そしてまたレベルダウン・・・

 

家族としてのエゴが、母の体力を奪ってしまってはいないか。

食べて体力つけて回復してほしい、という思いが、かえって母を苦しめていないか。

 

どこかで線引きをしてゆかないと母も我々も疲れ果ててしまうだろう。。。

 

お母さんが欲しがった時だけにしたら?、と、看護師さんがアドバイスしてくれた。

そうだよね、そうだよね。

 

母は、昨日あたりからよく眠る。

電池が切れてしまったように良く眠る。

オムツ交換していても目を覚まさない。

今日は訪問入浴の日だったけれど、洗ってもらいながら寝落ちていた。

目を覚ました時にゼリーでも、と思ってあげるけれど、「もういい」と言う。

 

静かに静かにいろいろなことが引き潮みたいに逃げてゆく。

 

悩もうが苦しもうが、そんな思いとは無関係に、いろいろなことが去ってゆく。

 

父はここ3週間ほどで、いきなりガーデニングに目覚めた。

庭も部屋も、お花でいっぱい。

朝顔も、ゴーヤもそのツルをぐんぐん伸ばす。

 

もうじき七月。

 

 

 

どう生きる?

先日、昼食に美味しそうにソーメンを食べていた母が、途中むせ込み、タンが絡み呼吸困難となりました。

ガン末期は、体中の筋力が衰えてしまうので、自力でタンを切ることもできません。

タン吸引器があるのですが、看護師さんがやっているのを見ていても、自分でやったことはありません。

急ぎ在宅医に電話をして、看護師さんを呼びました。

来るまでの間、喉元に見えているタンをブラシで除いたり、背中や胸をさすって声を掛けていることしかできません。

母は苦しそうにゼコゼコと肩で息をし、手にはチアノーゼが出て来ました。

看護士さんが到着した時には、血中酸素濃度が60%(健常者は90~100%)まで落ち込み、危険な状態でした。

酸素吸入と点滴が開始されました。

看護士さんからは、あと数日の可能性もある、覚悟しておいてくださいと言われました。

また、良くなったとしても、今回のような生死にかかわる誤嚥の可能性が高いので、経口からの飲食が難しくなる。

その場合は点滴で補ってゆくしかない、と説明がありました。

この点滴ですが、様々に意見が分かれるところであります。

老衰も含め、人間は末期になると、枯れてゆこうとするので、飲み食いできなくなるのが自然であり、自然に逆らってまで体に水分を

送り続けることは、かえってタンの誘発、体中のむくみを引き起こし、本人を苦しませることになる、という考え方。

かたや、たとえ体がむくんで、本人の意識がもうろうとしている状態であっても、1日でも長く生きていてほしいから、点滴を続けていくという考え方。

どちらも正解なのでしょう。

母の場合、在宅医の先生方は延命の立場をとり、週2回来てくれている訪問看護士さんたちは、自然に楽に、という立場をとる方たちで、意見が割れていました。

が、決定権は本人及び家族にあります。

今回、緊急だったこともあり、当たり前のように点滴も開始されました。

が、結果、母の左右の手はパンパンに膨れ上がりました。

タンも相変わらず絡み、ゼコゼコした呼吸が続きました。

翌日、私は父と相談して、一旦点滴を止めました。