私は一応ヨギーでもあるので、毎日ヨガをします。
あのお釈迦様が行っていた苦行も、ヨガであったと伝わっています。
毎日のクリヤ(クンダリーニヨガの、エクササイズ的セット)は、きつく、朝起きるたび、またあの腕立て(のようなクリヤ)が待っているのか、、と思うと、正直気が重い日もあります。
が、一連のクリヤを行なった後のシャバアーサナ(屍のポーズ)は、爽快です。
そして、いよいよヨガの本題である瞑想へ、と行くのですが、日常に追われていると、なかなかこの瞑想までたどり着けません。
仮に瞑想まで行けたとしても、あ、醤油が切れそうだったな、とか、宿題のチェック忘れてた!、とか、今日体験の人くる日だったな、とか、それはそれはたくさんの雑念が浮かんできて、頭の中はとっても騒がしくなります。
そして、落ち着いて座っていられなくなり、瞑想は頓挫します。。。
が、お釈迦様は、苦行では悟りを開くことができず、瞑想をすることで悟りを開けたそうです。
瞑想まで至れない私の心も頭も雑念・妄念だらけで、ああ、無になりたい
何も悟りを開きたいわけではないのですが、心を縛る様々な思念から、いっとき自由になりたいのです。
そんな私が発見した「無心になれる時間」、それは意外にも家事の中にありました
食器洗いです
黙々と、目の前の汚れた食器をピカピカに洗っていくとき、不思議な集中力が生まれるんです。力んでさあやるぞ、という類のものではなく、手が勝手に動いているので、緩やかな集中というか。
そんな時、いろんなアイデアが閃きます。
踊りのこともそうだし、クラスのことも、家族のことも。
これって、瞑想に近い状態なのかもなあ、なんて思ってます
そしたら、先日聞いてたラジオで、あの椎名林檎も、食器洗いの時に曲想が浮かんだりすることが多いそうです。
一緒にするな!!と怒られそうですが、きっと食器洗いには瞑想に近い波動があるんだと思います。
そう思うと、家事も楽しくなります。
と、オチはここではなく、毎日の反復の中で、習い性のように身に染み付いていることをやり続けていくと、解脱があるのかもしれないな、と思い至ったことにあります。それはフラメンコにおいては、反復練習だよな、と。
そんなことを考えていたら、近く発表の場がある訳ではないにもかかわらず、土曜グアヒーラクラスから、自主練がしたい、という申し入れがありまして嬉しくなりました。
「先生は見てないでください」
と怒られたにも関わらずちょっと居て、ちょっと撮影。
みんな、フラメンコの悟りを開くべく頑張っております
無の境地にたどり着くまでには、気が遠くなるような反復練習しかないな、と自分にも言い聞かせ、励ましております。。
西川千鶴フラメンコ教室では、随時会員募集中です。
小金井市 府中市 国分寺市 小平市 武蔵野市 近辺にお住いの方、私たちと一緒に踊りませんか?
初心者歓迎、年齢は問いません。
現在5歳の子供〜シニアまで汗を流しています。
ダイエット、美容、ストレス解消、骨粗鬆症予防など、様々なことに効果のあるフラメンコ。
スペインの情熱のリズムで心と体を躍動させてみませんか?
貴女からのお問い合わせ、お待ちしております。
メールでのお問い合わせ→info@estudio-aixa.com