ありがとうございました!

先日の教室ミニ・ライブにお越しいただいた皆様、ありがとうございましたconfident

皆様の暖かい応援のおかげで、なんとか無事終えることができました。

 

出演したメンバーも、それぞれの持ち味を存分に発揮できたのではないかと思います。

本番が一番良かったですup

これを契機に、引き続き精進していってくださいsign03

ポンコツな我らを、後ろから熱血強力サポートしていただきました、大橋さん、鈴木さん、本当にありがとうございましたnote

 

また、裏方として行き届いたお手伝いをしてくれた、えっちゃん、ありちゃん、ちかちゃん、どうもありがとうございましたsign03

 

そして、思い出のつまったエスペランサ。

ここで初めて舞台に立ち、以後色々な経験を積ませていただき、育ててくれた場所。

私にとって、暖かいゆりかごのような場所で、今回のライブを行うことができて、本当に良かったです。

マスター、ママ、ありがとうございましたsign03

 

応援してくださった生徒の皆さん、次はあなた方の出番ですよ〜confident

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ありがとうございました!

先日のエスぺランサライブにお越しいただきましたみなさま、お忙しい中、ありがとうございましたconfident

 

約1年ぶりのフラメンコライブ、練習時間もほとんどとれない環境下で、本当にやりきれるのだろうか、と不安が先立つところがありましたが・・・

潤君の若さはじける素晴らしいパフォーマンスに、田鶴さんの女性らしいしとやかなバイレに、良い刺激を受けました。

川島さん、片桐さんの、竜巻のようなぶあつい音に支えていただき、何とかもちこたえられました。

そして、いらしてくださった皆様の応援に、勇気をいただきました。

今回参加させていただいてよかったです、本当にありがとうございましたconfident

 

ライブがあろうとなかろうと、時間があろうとなかろうと、毎日の日課のように精進し続けることの大切さに、改めて気づきました。

私の好きなフラメンコ。

そこに向けて、コツコツ積み重ねてゆくことで、焦りやら格好つけがなくなってゆくのかな。

ライブがあるから頑張る!!のではなくて、毎日の生活の流れの中で、「私の好きなフラメンコ」に向き合う時間をちょっとずつ重ねてゆけると、もう少しナチュラルでいられるような気がします。

その重ねて行く時間のなかで、例えば今まで当たり前のようにやっていたパソの意味を取り違えていたことに気付く瞬間があったり、あ、だからここはこういう表現になるんだ、と合点がいったりすることがあります。

自分の中の温故知新。再構築。のコツコツ。

自己満足に陥らないためにも、自分の踊っている映像は、吐き気がしてもsad、しっかり見届けなくてはなりませんが。とほほ・・・

 

今年は発表会で幕を開け、渡西もし、初心に立ち返ったような感覚があります。

考えてみたら、スタジオ開いてから今年で12年、干支が一回りしたのですねsweat01

よくぞここまで持ちました、これも皆様のお蔭です。

気持ちを引き締めてがんばってゆきます!

 

さて、今年の周年パーティーは、賑々しくやりたいなあ~と、このブログを書きながら思い立ちましたup

 

 

 

 

 

 

ありがとうございました、そして!

先日のエスぺランサにお越しいただきました皆様、ありがとうございました!

ライブのちょうど1週間前に母が退院して来まして、バタバタしている中、靴を履いて練習する時間などとてもとれず、

かなりの博打フラメンコでしたがsweat01共演の皆様、応援にきてくださった皆様のお蔭で無事に終えることができ、ホッとしております。

ありがとうございましたclub

が、踊り手たるもの、いついかなる時でも踊れる体は作っておかなければと、激しく自省いたしました。

やれることをがんばります。

 

さて、少しうざい話です。

私自身の備忘録として、また自己満足で書いてゆきますので、めんどくさい方は、どうぞスルーしてくださいませconfident

 

私の母は、一昨年の12月に子宮頸がんの手術をしました。

リンパまで転移していましたが、見える範囲のガンは取りきった、と主治医の先生から説明を受けました。

が、見えないレベルでの転移を予防するためにも、抗がん剤治療が必要だと言われました。

一般病院でのガン治療は、抗がん剤か、放射線に限られています。

その2つのうち、放射線よりは有効、という理由で、抗がん剤治療が開始されました。

母は約半年間、頭痛、吐き気、全身の倦怠感、脱毛といった副作用に悩まされながらも、前向きにがんばりました。

治療後の検査の結果、転移はどこにも認められず、母や家族は久しぶりにとても晴れやかな気持ちになりました。

母はガンを克服したに違いない!と。

その後も、再発しないようにと、食事療法など、できる限りのことをして健康維持に気を配っていました。

が、昨年の5月、ろれつが回らないなどの症状が出たため、検査してもらったところ、脳に腫瘍ができていることがわかりました。

1週間経たない間に左半身に麻痺が来て、即刻手術となりました。

病理検査の結果、子宮頸がんと同じガン細胞で、リンパを通って脳まで達したとのこと。

大きな腫瘍は取り除いたが、浸潤しているのと、リンパへの転移もあることなどをふまえると、余命1年ほどであろう、と宣告されました。

あんなに苦しんでがんばってきたのに、抗がん剤治療で抑えられなかったのか。

大好きなゴルフに通えるまで復活したのに。

見た目にはむしろ健康そのものだったのに。

無力感は半端ありませんでした。

母には余命のことは知らせませんでした。

元々子供が小学校入学の際に同居を考えていたのですが、余命宣告を受け、時期を早めて同居することにしました。

術後の母は、持ち前の生命力の強さで、医者に奇跡的!と言われるほどの回復ぶりを見せました。

放射線治療も大きな副作用も出ず、動かなかった手足が動くようになり、歩けもするし、言葉も戻りました。

母の努力、強さには、こちらが励まされる思いでした。

余命宣告なんて、気にせず過ごしてゆけばいいんだ。

が、同居生活も落ち着いてきた12月、母が腰の痛みを訴え、歩きにくそうにしていたため、検査をしたところ、今度は脊椎間への転移がみつかりました。

やはり同じガン細胞で、今度は脳から脊椎へ降りてきたのです。

そして、その脊椎間にできたのガンのために、髄液がまわらなくなり、脳が水頭症を起こしていると。

それにより、痴呆に似た症状、麻痺の悪化、突然の呼吸困難などが起こり得るとのことでした。

ガンの猛威にゾッとしました。

また、ずっとがんばって闘病してきた母のこれからが、あまりに過酷で、ツラくなりました。

それでも、まだ私は娘、という立場だから冷静でいられたのかもしれません。

長いこと連れ添ったパートナーの芳しくない病状を聞いた父は、父の方が先に参ってしまうのではないか、という落胆ぶりでした。

父は元気だった母のイメージから抜け切れず、病状が進んでいることを受け止めることができず、病院に対して、医者に対して、私たちに対して、

頑なに心を閉ざしてしまい、お母さんは必ず元気になるんだから、俺が毎日公園に連れていってトレーニングさせるから大丈夫だ!!と

母を無理やり外に連れ出そうとしました。そうでもしていなければやりきれなかったのでしょう。

母への接し方について、いつも父とは衝突ばかりしていました。

治ると信じて無理やりにでも歩かせようとする父・・・

これから悪化してゆくことを見据えて、看護体制を整えようとする娘・・

母の痴呆が進行してくれていて、むしろ良かったです。

何もかもはっきりわかっていたら、本人が一番苦しかったでしょうから。。

そんな中、母は痙攣を起こし、救急搬送されました。

母が、いろんな意味で、現状へギブアップした兆しなのだと思いました。

 

母の痙攣は、幸い薬で収まりましたが、倒れる前より、手足の麻痺、せん妄、嚥下困難が悪化しました。

これまで自力で出来ていたことが、ほとんど出来なくなってしまいました。

母が入院の間、病院のガン相談窓口のSさん、主治医、看護師さんたち含め、話合いの場がもたれました。

一般病院は、病を治すところ、つまり医療行為を行うところであり、それができない患者は、緩和治療専門の病院(いわゆるホスピス)か、在宅医療のどちらかを選択しなければなりません。

母は、病院で行うどの治療も効果なし、とみなされた患者であったため、そして病院に居たくないという母の希望も受け、1月から在宅医による訪問看護を開始していました。

話合いの場では、家族に、在宅で最期まで看取る意志があるのか、ないのか、ないのであれば、緩和治療の病院を探さなければならない、と詰め寄られました。

また、もし在宅で看取るならば、母が苦しむ姿も見なければならない、それも覚悟がいることだ、と。

私は、元々母を家で看取るつもりで同居を決め、私の家族にも理解してもらっていたのですが、父はやはりそこまで詰めて考えたくないようで、保留にしてくれ、と言いました。

受け入れがたい気持ちは理解できるものの、現に進行している病状に対して、対処してゆかねばならぬのです。

じいさん、しっかりしてくれ、腹立たしくも思いました。一方で、父の深い悲しみにふれたようで、痛みを覚えました。

とりあえず、本人の意思が第一でもあるし、家に連れて帰ろう、ということに決まりました。

退院前、私は看護師さんについて、一日の流れを見させてもらい、着替えやおむつの取り替え方、歯磨きのさせ方など研修させてもらいました。

そうして、桜まつりも終わった4/10、母が家に戻ってきましたconfident

 

続く・・・

 

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近所の上水道は野趣であり雅です・・・

まるで深山の趣・・・

本当に東京か?!