母は。

母は、いわゆる勘の鋭い人だった。

私が何か問題にぶちあたって悩んでいたりすると、決まってタイミングよく電話をかけてきたり、ふいに会いに現れたり。

離れていても、愛されてるんだな、守られてるんだな、と思うことがよくあった。

「もう、私の介護で大変な思いしなくてもいいんだよ、私も闘い抜いたから休みたいよ。お父さんをよろしくね」

都合の良い解釈だけど、私にそんなメッセージを残して亡くなっていったような気がしてならない。

自分のことはいつも後回し、夫のため、子供のため、ばあちゃんのため、、、いつも人のために動き回っていた母だったから。

それを考えると余計にかなしいけどね。

 

そんな、人のために尽くしてきた母が病気になってしまったのは、母の命懸けの叫びだった気がする。

私もう尽くすの疲れたよ、尽くされたいよ、みんな私のこと構ってよ、って。

同居し始めたころは、お前に世話かけたくない、子供の世話になるの嫌だ、なんて言ってたけど、私にオムツ替えしてもらってる時の母は、なんだか幸せそうだった。

私がご飯食べさせてたら、「楽でいいなあ~」なんて言ってた。

食事後、リップクリームを塗ってあげると、すっきりと満足そうな顔をしていた。

私が何か作業をしていると、私のことをずーっと目で追っていた。

とっても澄んだ、きれいな目で。

その目は、赤子みたいと思ったこともあるし、ハリーの最期の日の目みたいだ、とも思っていた。

 

退院したばかりの頃は、痴呆のような症状がでていたけれど、家に戻ってしばらくしてからは、それもおさまっていた。

私が「お母さん、今日もきれいだね~」と言うと、

「うそよ、うそ!」と照れたり。

すっかり可愛いおばあちゃんだった。

だから、母の介護は子育てより全然楽だ、といつも思っていた。

子供は・・・いうこと聞かないし、暴れるし、すねるし、もう大変・・・

だけど・・・

私がこうして減らず口をたたけるのも、母が辛抱して子育てしてくれたおかげ。

いずれのことも、すべて輪になって繋がってゆく。

 

私が母につきっきりになっていると、当然子供がすねて感情的になる。

「僕とああちゃん(ばあちゃんのこと)と、どっちが好き?」

とよく聞かれた。

子供にも苦労かけたけど、「僕がああちゃんに食べさすよ!」

と言って、台の上に乗り、アイスやプリンを母に食べさせていた姿は泣けたよ。

幼いお前にそんな気を遣わせて済まん。。。

母は私を見て苦笑しながら、「ありがとね」と言ってたっけ。

 

父はどうしてもスパルタで、男ならではの強引さで、それでも一生懸命介護していた。

ご飯をたべさせてもらったあと、母は「拷問だよ・・・」

とこぼしていたり、「優しさがないんだよ・・・」

と愚痴っていたりしてた。

けど、やはり父のこともずーっと目で追っていた。

お父さんにたっぷり構ってもらって、愛情かけてもらいたかったんだよね!!

 

だから・・・

私の突っ走った思いのみで始まった親との同居、介護生活。

大変なこともたくさんあったけれど、いつもの雑多な、騒々しい住空間で、母を見送れたことは良かったことなのかな、と思えてくる。

きっとそうだよね?!

 

そして。

病人と頑固な父との同居を快諾してくれ、私のイライラをすべて受け止めてくれていた夫に、ありがとう。

 

そして。

みなさまの暖かい励ましがなければ、ここまで来られませんでした。

心より御礼申し上げます。

ありがとうございました。

不肖西川を、今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入寂

6/24の午後10時に、母が息を引き取りました。

日曜に荼毘に付しました。

生前お世話になった皆様に厚く御礼申し上げます。

また、たくさんの手向けのお言葉、お花など賜りまして、親族一同感謝しております。

ありがとうございました。

 

24日は、前日夜から呼吸が苦しそうだったので、少量のゼリー、アイスのかけらなどだけ摂取。

が、その後は余計に苦しくなってしまったので、口からのタンの吸引をしてみる。

吸引直後は改善するのだけど、タンはきりなく絡んでくる。

在宅医に約束の時間より早めに来てもらう。

看護士の吸引後、少しまた良くなる。

医者曰く「診立てでは、今呼吸落ち着いているので、様子を見ながら経口摂取をし、絡んだらタンの吸引という形で、あと1カ月くらいは大丈夫でしょう」「娘さん、鼻からの吸引も覚えてください」 

ほんとか??おい!?

私には、とても1カ月も持つように見えないけど。

別の訪看さんから、吸引はプロの看護士がやっても難しいものだから、口内の見えている部分のみの吸引しかしなくてよいですよ、お母さんも苦しいし、と言われていたので、今まで鼻からの吸引は手を出さなかった。

が、緊急の場合もあろうかと、その場で教えてもらった。

吸引覚えれば大丈夫なんですよ、みたいな軽いノリで在宅医は帰っていった。

そうなんか??

私は激しく疲れてしまった。

信頼している訪看さんは、葬儀の準備もしておいてくださいと言う。

在宅医はあと1カ月生きるという。

今亡くなっても、あと1カ月闘病が続いて亡くなっても、わたしゃズタボロだ・・・

お母さん、私疲れちゃったよ、、、どうすりゃいい??

2hほど2Fに引きこもった。

階下に降りてゆくと、母がまた苦しそうな呼吸をしている。

こんなに痩せちゃって、小さくなっちゃって。

自分のつまらない、せこい感情で、そばにいなかったことを悔いた。

体をマッサージしたり、蒸らしたタオルでさすったり、手をにぎったり、、、

こんなことしかできない。

 

子供が帰ってくる。

ごはんの支度、食べさせて風呂、寝かしつけ、、、

その間も気が気ではなかった。

ハリーが亡くなったのも水曜の夜だったから、嫌な予感がして仕方がない。

子供には可哀そうだったが、頼むから早く寝てくれ、という気持ちだった。

 

階下に降りてゆくと、母が下顎呼吸をしている。

父を起こし、在宅医に電話をする。「そうですか。といっても、なすすべがないから、見守っていてください。救急車はよばないでください」

どこまで保身しか考えない医者なんだ。

訪看さんにも電話をした。「娘さん、そろそろ覚悟してください。耳は最後まで聞こえています、そばにいて、声を掛けてあげてください。手を握ってあげてください。」

この訪看さんがいてくれて本当にありがたかった。

手足が冷たくなってきてしまった。

一生懸命さすっても、温かくならない。タンの音も聞こえる。

胸をさする。

お母さん、がんばれ!!

タンの吸引をすれば楽になるだろうか、と、今日ならったばかりの吸引をした。

お母さん、苦しいのとるよ。もっと生きてよ。

が、その後。

母の呼吸がゆっくりになってきてしまった。

父と私は必死で呼びかける。

お母さん、がんばって、お母さん!!!

ハリーの時みたい。

最後に一つ、ゆっくり息を吐いて、母は絶命した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無事終了!

先日の、三鷹市交響楽団親子コンサートへの出演、無事終了いたしました!

フルオーケストラをバックに踊るという機会は、後にも先にもないのではないでしょうか?!得難い、貴重な体験をさせていただきましたshine

世界をめぐる音楽の旅、というテーマで、イギリスはバグパイプ奏者の五社さん、中国はニ胡奏者の佐藤さんもご出演。

その土地の楽器から、その土地の匂いが伝わってくるような感覚、これもまた素晴らしかったです。

スペインはファリャの「はかなき人生」です。

この数か月、ルセロ・テナのユーチューブ映像を食いつくように見まくり、勉強しました。

音のうねり、話しかけに応ずるような動き、パリージョの響きに圧倒され、見惚れ、わしには無理じゃあ~~

と根をあげそうになりましたが、やるだけやってみなければプロじゃあございません。。。

オーケストラの方々の分厚い演奏を邪魔してはなるまい、との思いで、とにかく必死こいてやりました。

当日は、後ろから、追い風を感じるように気持ちよく踊らせていただき、オケの皆様にはひたすら感謝、感謝です。

image1.jpg

 

 

 

 

 

 

そして、三鷹オケの方々の、熱さ、オケへの愛、サービス精神に、本当に感服いたしました。

伝統は守りつつ、進化し続けるオケ、58年続いてきた理由がよくわかります!!

 

image3.jpg

 

 

オケレンジャーの皆様、自らも演奏しながら企画構成を手掛ける西川さん、

二胡奏者佐藤さん、福谷さんと。

 

 

 

 

IMG_0573.jpg

 

 

 

営業活動にも余念のない再びオケレンジャーと

バグパイプ奏者の五社さん。

 

 

 

 

 

 

 

写真ご一緒できなかったのですが、司会と歌の岡崎先生、たいら先生も素晴らしく、子供たち大喜び、大はしゃぎのコンサート、

交響楽団の殻をいい意味でぶち破る、そんなコンサートでした。

私も、フラメンコ道、こつこつ邁進してゆきたい!!と、また新たな刺激をいただいた夕べでしたnote

ありがとうございました~~~!!!